盗作について考察する。 あの人も盗用だらけ
質問、HULERは本を沢山読むんですか?
少ししか読まん
読んでないのにこんな道場を開いて大丈夫なんですか?
それを言われると、痛い所じゃが、別に沢山読んでいることが作家の強みとは言えないぞ。
どういう事ですか?
小説を全く読まないプロの小説家もいるし、人の曲を全く聴かない作曲家もいる。沢山情報を詰め込んでも、自分なりのオリジナルな表現がなければ作品の個性が出ない。
それは、読みたくない言い訳ではないですか?
そう思われても仕方ないの。儂が本を読まないのは、実は幼少期のトラウマがあっての。話すと儂がまだ小学校の低学年だったころの話じゃ。三大新聞の地方版ページに地元の小学生が作った詩を紹介するコーナーがあっての、掲載されると記念品のピンバッジが貰えるのじゃ。掲載された作品の中に儂が気に入った詩があったのじゃ。で、才能の差を感じたわけじゃ。頭から離れん。で、そのあと儂が書いた詩が似すぎるほど似ていた。ほぼ同じじゃ。学校の先生が、この詩は素晴らしいと感動して即新聞社へ応募、採用されて掲載された。だが、じゃ、儂の父親が気が付いた「これ、少し前に同じようなのが載っていたぞ」かくして担任教師は私を連れて、原作者の小学生のかよう学校へ謝罪に行った。感受性豊かな儂は他人の作品に影響されやすい。知らず知らずのうちに盗作してしまいそうで怖いのじゃ。
そうなんですか?でも、ある程度は読まないと駄目なんじゃないですか?
勿論、教科書で読む分ぐらいは読んでおるぞ。情報量が少ないから盗作のしようがない。
盗作っていうけど、どっからどこまでが盗作なんですかね?
では、盗作について考察してみようかの。
盗作についての考察
文章の盗作、楽曲の盗作、デザインの盗作、コンセプトの盗作、技術の盗作などがある。
原作についての敬意や尊敬のあるなしを考えれば、オマージュ、パロディ、パクリとも分けることができる。
- アインシュタイン「クリエイティブである一番の秘訣はその元ネタがバレないことだ」
- サルバドール・ダリ「何もまねしたくないなんて言っている人間は、何も作れない」
- パブロ・ピカソ「優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」
つまり、オリジナルはこの世にありえない。誰かが既に作っている。その中から盗むことが始まりだと。
盗んだオリジナルに手を加えてレベルアップする事が新しい創作につながる。軽蔑するべきは、パクリである。パクリは完全に模倣しただけのものでオリジナルの劣化版でしかない。
文章の盗作
小説やシナリオ、詩などについて考えてみる。
物語の筋書きについていえば、どんな小説でもシナリオでも 45種類ぐらいの話しかなく、文豪シェークスピアの時代には既に全部書き尽くされていると言われている。
例1 文章の構成
- 桃太郎と浦島太郎 は同じ話 —— 行った者が帰ってくる話
- かぐや姫とETは は同じ話 —— 来た者が帰っていく話
- 「ロミオとジュリエット」と「タイタニック」は同じ話 —— 敵対する陣営、若者の恋愛、女を守って男が死ぬ話。
例2 文章の手法
・作詞家:山口洋子 パクリ疑惑
五木ひろし歌唱の「よこはま たそがれ」昭和46年1971年3月1日の歌詞
「よこはま たそがれ」
(1)よこはま たそがれ ホテルの小部屋
くちづけ 残り香 たばこのけむり
ブルース 口笛 女の涙
あの人は行って行ってしまった
あの人は行って行ってしまった
もう帰らない
一方こちら ハンガリーで最も偉大とされる詩人アディ・エンドレ
「アディ・エンドレ詩集」に掲載された 「ひとり海辺で」という作品
あの人は行ってしまった。
もう逢うことはない。
あの人は行ってしまった。
もう逢うことはない。
山口洋子は、作詞の権威者となったのだった。
コンセプトの模倣
秋元康 おニャン子クラブ AKB48
つんく♂ モー娘
メレンゲという音楽ジャンルがあるのはご存じだろうか?
ドミニカ共和国の女の子たちで結成された、お色気・アゲアゲバンド音楽です。
日本で少し話題になったのが 1979年頃から、1980年にはジャンルが確立。
カリブの怪人(西武ライオンズのデストラーゼではない)と呼ばれた敏腕プロデューサー兼バンドマスター、ウィルフリード・ヴァルガス が Las Chicas Del Can (ラスチカスデルカン)という 20人ぐらいの女性グループをプロデュース。素人娘をスカウトして編成し、決して上手とは言えない演奏と歌でしたが、80年代を通じて数々のヒットを記録し、そのシングルやアルバムの多くがゴールドやプラチナのステータスに達した。
ここでピンと来た人がいたかもしれません。1980年代と言えば、そうです、秋元康が「おニャン子クラブ」を売り出したころと時期的にはダブります。素人娘を集めて大人数グループとして売り出すコンセプトです。ウィルフリード・ヴァルガスはトランぺッターでもあったし、バンドマスターでもあったので、カリブ風の音楽らしくメンバーに楽器の演奏もさせましたが、秋元康は簡単な振り付けをさせただけでした。
コンセプトの丸パクリと加工です。このころの日本は、海外の音楽についての情報も今ほどは入手しずらく、このコンセプトが流行りそうだと予想できた人は少なかったはずです。まだ、TOTOとかクィーンとかが流行っていた時代です。マイケルジャクソンがブームになるちょっと前の話ですよ。新人タレントの発掘には、オーデション番組や勝ち抜き歌合戦式の番組、事務所が行うスカウトキャラバンのようなものが主流だった時代です。
この時に未来のトレンドを読んで、芸能事務所やレコード会社やTV局にプレゼンテーションをして、実現させた秋元康の情報収集能力と営業力、コンセプトをパクった後のアレンジ能力、プロデュース能力はすごいと思います。でもアイデアはウィルフリード・ヴァルガスだと私は確信しています。
つんく♂ については、秋元康の二番煎じ的なところもありますが、メンバー個人能力をある程度持たせたアイドルグループを目指したところが「おニャン子」とは違っていましたね。
そして、今やさらに日本式にアレンジされた、「もともとはメレンゲバンドの真似」は、本家本元を超えて発展していったのでした。アルファベット3文字のアイドルグループ名を付けるアイディアもどこかの国がしっかりとパクってくれていますね。
楽曲の模倣
楽曲についても、模倣やパクリの噂は絶えない。
ドレミファソラシ と7音しかないわけで、その組み合わせはどこかしら似てしまいざるを得ない。
コード進行にしても部分部分似てしまうのは仕方ない。
「うっせいわ」という曲があるが、「ちっちゃなころから……」の歌いだしの部分、チェッカーズの「ギザギザハートの子守歌」と同じ。ただ楽曲全体はまるで別物。これはたぶん歌詞のせいだとおもう「ちっちゃなころから……」にメロディーをつけると、日本語の特性上、このメロディーになりやすい。歌詞から先にできたんじゃないかな?と思う。これはたまたま偶然の一致と言える。
そうじゃないものもいっぱいある。ばんばひろふみの「サチコ」という曲。これはビリージョエルのオネスティという曲と全く同じ部分が多い。ばんばひろふみさん、多分ビリージョエルが大好きだったんだと思う。聴きすぎて脳内に自然にメロディラインが定着してしまって、自分で作曲した気分になっちゃったんだと信じたい。まさかあそこまで大ヒットした曲を、プロなら聞いてるけど一般人はあまり聴いてないからバレっこないと思ったのだとしたら、ちょっと浅はかすぎる。
BS12の深夜番組で、まきたスポーツが司会をしている「カセットテープミュージック」という場組があるのだが、コード進行が全く同じ曲を紹介したりして面白い。楽器演奏者なら「あれっ似ているな」という曲に私よりも多く気が付きそうな感じだ。コード進行が同じだと、別々の曲が途中ですんなりつながって切り替わったりして面白い。例えばかぐや姫の「神田川」に「子連れ狼」の「しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん」が妙にマッチングしたりする。笑える。編曲すればどちらの歌詞も逆の曲で歌えるという事なのか?
やはり、よほどの天才かほかの音楽を聴かない変人にしか新しいメロディラインとかコード進行は作れないらしい。どう曲を作っても何かしらの曲に似てしまうし、よく聞いている曲のイメージが同じようなコード進行をもたらしてしまう、いいなと思った演奏テクニックや編曲を自分の今日に刷り込んでしまうことが多く起こるのだろう。
デザインの模倣
ロゴのデザインや建築物のデザイン商品パッケージのデザインも模倣とパクリにあふれている。
これは自分でデザインする事を考えてみてほしい。何かかにかには似てしまうでしょう。
人の足は2本しかないしては2本しかない。目も二つしかない。人型文字やピクトグラムは限られる。
形は 〇と△と□と☆と多角形、球体、4面体、直方体、円錐、などの組み合わせしかない。
色は、基本的に3原色の組み合わせ。これらの組み合わせなわけだから限りがある。
ただ、オリンピックのロゴのように、他人が0から100まで一生懸命制作した完成品をそのままパクって加工して自分のオリジナルですというのは、それはおかしい。恥を知れと言いたい。
産業スパイ
韓国の醤油メーカーに醤油の名人、韓国醤油の父と呼ばれた人がいた。
セムピョ食品のオ・ギョンファン副社長(故人)がその人。
オ・ギョンファン氏は、1986年に日本の有名醤油製造メーカー「ヤマサ」の麹室を見学した時、ヤマサの麹菌(醤油の味を左右するいわば企業秘密)を見学中にできるだけ大きく空気を吸い込んで鼻の中に菌の“胞子を集め、麹室から出るとすぐにティッシュで鼻をかんだ。そのティッシュの分析を重ねてヤマサの麹菌を盗んだ。そして丸パクリして麹菌を転用した。完成品をそのまままねて使っているだけ。それでもかの国の内では「息を吸っただけだから盗んだことにはならない」「ずるさではなく情熱を感じる」と敬意を集めているらしいから、頑張らずに結果を求めることについての恥じらいがない国民性を感じざるを得ない。
また、半導体部門でも、サムスン電子が東芝の社員を引き抜いて、半導体チップの設計図を盗んでいた話は周知の事実となっているが、その証拠が東芝の技術者が設計図にいたずらで書きこんでいたもの(回路上何の役にも立っていない)まで忠実にコピーしていたという笑い話。これは半導体の設計などできる技術を持っていない企業が、訳も分からずそのまま盗んでいる事に相違ない。軽蔑に値する行為だ。
イチゴにしても、ブドウにしても、あれもこれも、とにかくバレなければ何でもパクる。バレなければ悪くない。バレたら不運だった。バレるような奴が馬鹿なのさという国民性を何とかしてほしいものだ。
ついでに言うと↓
パクリのオンパレード
オマージュ と パロディ と パクリ
オマージュ 原作に対する尊敬
- 原作や原作者に影響を受けて、似たような作品を創作する。原作に対するリスペクト作品ともいえるだろう。
- よく言われるのが「スターウォーズ」は「七人の侍」のオマージュ作品
- 元ネタがバレても都合が悪くならない。
パロディ 原作に対する風刺
- 他の芸術作品を揶揄や風刺、批判する目的を持って模倣した作品
- 例えば DA PAMP の「USA」は ユーロビート Joe_Yellow「U.S.A.」のパロディーカバー
”Come on baby America" が、原曲では ”Come on baby, Do it again"となっている。 - 元ネタがバレても都合が悪くならない。
パクリ 利益の為に表現を盗用
- そのままコピー複製
- 元ネタがバレると都合が悪い。
なるほど、違いがあるんですね。
まるパクリがダメなことは理解しました。
人の作品の完成形だけをそのまま使うのが駄目なんですね。
元ネタがバレると都合が悪いのが、軽蔑されるべき盗作(まるパクり、そのままパクリ)ですね。
左様。感受性の高い儂は、人の作品に左右されやすい。
よって態と読書量を抑えておるという事じゃ。そういう事にしといてくれ。
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